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奇跡の子。

JUGEMテーマ:日記・一般

 

今日もいいお天気だ。庭の草取りも終わって綺麗になったし、気持ちがすっきりする。洗濯物も乾くしね。気温が27℃くらいなんだろうか、多分外は25℃くらい?これくらいが一番過ごしやすいよね。朝一で、JAの「とれのさと」という直売所に行き、すごい行列に並び、トウモロコシを買った。採れたてのトウモロコシ。それに少しの野菜と炊き込みご飯を仕入れた。それから、図書館に行った。本の横に喫茶コーナー(すんごい小さい)があり、そこはもはや喫茶コーナーというより直売所でキャベツがゴロンゴロン並べてあり、120円で売っている。長いももある。(笑)つくづく田舎だ。(笑)

 

アクシーズ・ファムのラベンダーマスクが、小さいから、気が付くと段がついて鼻の下と口のあたりが寄れている。おまけに「へび女」か「志々雄真実」にしか見えない目のせいで、パッとしない顔だ。今日は一計を案じて、目の周りを粉ファンデから、BBクリームに変えてみた。アイシャドウも薄めにしてみたが、それがかえって顔を暗くすると気づく。やっぱり「地雷メイク」で思い切った方がいいみたい。「へび女」の方が魅力的なのかもね。くすん。…

 

日ハムがぼろ負けしたデーゲームの後、甥っ子の家にスイカの配達に行った。札幌なのに、高速に乗っていく。(笑)甥っ子は、私のなんというか、「挫折したこと、苦しかった土地」のすべてを浄化するような不思議な子だ。(もういい年なんだけど笑)私が中学の頃にいた「卓球部」、彼も中学の時活躍してくれた。(卓球部を挫折している私)高校の時は「ロックバンドのヴォーカル」をやってくれた。大学の時は私が放り投げた「バイオリン」をサークルでやってくれた。大学自体、私が通信教育で挫折した「教育学部」だった。

大学卒業後、彼は「東京」に就職した。(私が挫折した東京)そこから、彼の転勤先は私が地獄を見たところだった。「横浜・静岡・帯広」と彼の赴任するところは身の毛がよだつような記憶のあるところだった。そこを円満に過ごしてくれた。今は、転勤を無くしてもらい自宅から通えるところに赴任できるシステムを会社に作ってもらい、家を買った。そこも、〇若香織の出身地の場所だ。札幌・厚別あたり。勤務先は「江別」という、とんでもない私の守り刀なのだ。…(意味が分からないあなたは、「へー、そう。」と読んでね?)

 

あれは、まだ、甥っ子が2〜3歳の時だった。千歳空港(あの頃はまだ、新が付かない)から、釧路に帰る私はひたすら、つらくて、ひんひん泣きながらグダグダ母親を困らせていた。あの頃の母は「気が進まない外出すべてに甥っ子を連れて来た」という母親にとっても特別な存在だった。(笑)一人でどこも行かない母が甥っ子を連れてならどこへでも行けると、よく行方不明になった。(笑)大通り公園に鳩を見に行くとか平気でできていたらしい。その私がグズグズ泣いているので母も困っていた。すると、甥っ子が「あっちにカニさんがいるよ?」と、私の手を笑顔で引いた。私はグズグズ泣いていた。「ほおら、見てごらん!大きいね!すごいね!」笑顔で私の顔を見る甥っ子は天使のようだった。そして、私は3歳児に慰め、勇気づけられてることに気づいた。あれから、何十年たっただろう?色んな事があったけれど、甥っ子は変わらずに私の後をついて来て浄化してくれている気がしてならない。

母親が亡くなった通夜でいつまでも寝ていた私はいつしか、周りにだれもいない朝に気づいた時、甥っ子が起きてとなりにいてくれた。自分は起きているのにふとんを敷いたままで。そして、何事もなかったように、「一緒に寝坊したね?」と笑ってくれた。薬を飲むのに、お茶がいると言ったら熱いお茶椀を(めっちゃ薄いやつ)1階から2階まで運んでくれた。やけどしたんだろうな。…いつもいつも支えてくれた奇跡の子だった。さすがに、静岡のあと「帯広」に転勤になった時には、ビビったほどだ。こんな偶然ってあっていいの・・。本当に苦しかった、2度と行けない、という怖さで脱出してきた帯広。甥っ子の3番目の子が生まれた時、あれ以来初めて、帯広の地を訪れた。私も通ったことがある産婦人科でうちの近所だった。もう、そこには、何もなく、甥っ子がいるだけで安心できる土地になっていた。…結婚式は「横浜」だった。「横浜」も身の毛がよだつ思いでがある場所だが、きれいなチャペルで家族集って幸せな一日になった。ず〜っとそうやって、私は甥っ子という奇跡の子に守られながら、今もいるんだと思う。

 

甥っ子が生まれたのは「麗美ちゃん」が「お友達になってくれませんか?」と手を握ってくれたあの時代だ。私はすごく強力なものに守られていたと思う。あのラジオをやっていた期間は、毎日好きなだけ飲んで食べて、太ることもなく、体調もすごく安定していた。電波に私の声が編成として載っているときに、私は私であり続けられたと思う。

 

ありがとう、本当に私に会いにこの世に来てくれてありがとう。

忘れないよ?色んなこと。私を守ってくれたやさしさや思いやりのすべて。

 

今日の東京の感染者は239人だった。北海道は5人。与論島の感染者の増加が心配だ。明日も心して生きよう。

 

*記録のために書いているので、不愉快な表現や不適切な内容等ございましたら、ご容赦願います。また、甥っ子の、プライバシーを侵害する気は毛頭なく、エピソードのみを読んでいただければと思います。

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