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カウントダウン中。(笑)

JUGEMテーマ:日記・一般

 

台湾まであと中3日というところまで来てしまった。

 

準備が何にもできていなくて、どうしようかとヤバいと思っていたが、今日は病院に行くことになり今日も今日とて忙しくてゆっくり荷物のことを考えている暇がなくて、パッキングに向けての準備がなかなかすすんでいなかったのだが、

 

「今日はやらなきゃ」

 

とは思ってはいたのだ。・・・

 

病院は混んでいて「発熱外来」の人でびっしりで、さすがインフルエンザ猛流行中だなと思えた。

 

行く前に「Paul Smith」の赤いジーンズが届いた。けど、サイズアウト感半端ない。

 

さて、どうしようかなことばかりで、タンクトップも靴下も買わなきゃで、何をどう着ていくかもまだ結果が出ていなくて、

 

買い物に行くことにした。

 

夕ご飯の準備もあるし、忙しいのだが、やるしかもない。

 

「ヴィヴィッドカラー」がやっぱりキーワードのような気がする。

 

同居人は相も変わらず、「あんた最近寝てばかりいるな。台湾に行ったら寝るならバスの中か夜だけにしてくれ。」

 

というから、めまいがしそうになった。

 

もうこうなれば、原宿の竹下通りで「〇〇(道北田舎町Aの名前)の2メートルの雪の中から、おら、出てきただ!」と叫んで収集がつかなくなった時のように、「捨てていくど。」と心でつぶやいて、捨てていくしかもないのだ。

 

旅行なんて「誰と行くか」が一番の問題事だ。

 

こんなテン下げの状態で、さらに、予想不能の事態を鑑みながらの移動だから、せめて、お守り代わりのヴィヴィッドカラーしか

 

自分を守るものがないような気がする。

 

この間、神社で「身代わり御札」というお守りを買った。

 

悪いことが起きたら身代わりになってくれるというのだが、こんな値段で身代わりになってくれたらこんなうまい話があるもんか。

 

ご難事ばかりだな、と思うが仕方もない。

 

前回の台湾の時買った少し丈夫目の折り畳み傘が見つからないからまた買わなきゃだな、と思う。

 

この時期の旅行って結構雨が多くて、沖縄では2回連続で集中豪雨にあって、全身下着までびしょ濡れのままツアーバスに揺られていたことを思い出すだに、いやだ。

 

撥水のジャンパーしか買いたくなくなったしばらくがある。

 

台湾でも結構な雨が降って、傘が必要だったから、マストアイテムである。

 

色々なことが心配だが、まぁ、旅行はコロナ禍以来の社会復帰でもあるので、頑張らなきゃとも思うのだが、

 

いまだに、旅行マップを読んでもいなく、「101行ってくっかな」と思ったが場所も知らないことに気づく昨今だ。

 

そんなことを考えなくていいようにパックツアーに参加するのだが、そのツアーしか3月度のはなくて、そのツアーは最終日に午前中自由行動があるので気が重いのだ。

 

「2メートルの雪の〇〇からきただ!」もフリーで歩いている時のことだから、(同居人はツアーバスに乗っていると比較的静か)

 

制御不能になりそうで怖い。(苦笑)

 

しかし、タクシーでいくらかかるのか、中国語で101を言えるのか、行っても帰りはどうするのか、突っ込みどころ満載で、

 

とにかく、気が重いのみの台湾である。(涙)

 

まぁ、そんなわけで、とりあえず、無事に「身代わり御札」が身代わりになってくれることを祈るのみである。

 

無事に終わります様に。(^^;

 

*記録の為書いているので不愉快な表現等ご容赦願います。

| 生活 | 15:52 | comments(0) | - |

真夜中の髪の毛巻き。

JUGEMテーマ:日記・一般

 

夕べも、11時20分に寝て12時半には目が覚めていた。

 

やり切れなくて、久しぶりにネットで「お経本」を見つけて、創価学会の「法華経方便品第2」を読んでみた。

 

そのあと、YouTubeで「法華経寿量品第16自我偈」を見つけたので(昔は長文だったが、今は短くこれだけになっているがここに文底秘沈が隠されているという)読んでみた。

 

時間は午前2〜3時で、もう髪の毛巻き巻き(夕べも寝られないからヘアアイロンした)した後の時間で、これは俗にいう

 

本山大石寺で長い間やっていた「丑寅勤行」であると思った。

 

”魔物が通る”という午前2〜3時を本山では必ず持ち回りで「丑寅(うしとら)勤行」をして悪の侵入を封じていたのだが、

 

それも、「日顕上人」が「ご乱心」という名の「介入攻撃」をされたので、意味をなさなくなってしまっていた過去がある。・・・

(その結果、創価学会は破門になった)

 

「こんな真夜中に髪の毛を巻かないといけない毎日」にほとほと疲れたが、

 

今日3月17日は〇若のライブの日であり、何か起こるのは必至な気がしてもいたのだ。

 

私だけならいいが、「ひーーちゃん」までやられるという始末だ。

 

「ひーーちゃん」は宗教の人。

 

私達は何に売られていたのだろうかと思うくらい「契約」という訳のわからないものにさらされていることを知る。

 

そして、今日3月17日は「渡辺美里」のライブの日。

 

みんなやられて行く。失わさせられていく「若かりし頃の凛とした声と目」は年のせいなのか。

 

「今も若くて今のほうがきれい」と言われる輩は、いったい何をしているのか。整形か、電波整形か。

 

出せなくなっていく声は年のせいなのか。どんどん、攻撃を喰らうたびに音痴にされて行く私だ。

 

子宮に痛みを抱えて胸が苦しい時に、声は出なくなってしまっている。

 

”自分の毎日が削れられて行くのに・・・”(爆誕の記章より)

 

このブログも信じられないくらいアクセスも下がってしまい、「みんなと隔離」された感が付くこの数日。

 

まだ、自分は、淡々とできることをやり続け、前に進むしかない道にいるが、落胆と絶望と変化というものは必ずついて回るものであるから、

 

何も変わらない道を行こう。

 

はやく、朝まで寝られるようになりたい。せめて4〜5時間は寝ないと、昼間がきつすぎる。

 

このまま台湾に向けて準備を進めよう。

 

どんなストーリーより真実は自分の体感にある。

 

「ひょっとして真相よりゆうに自己解釈信じてないか、一億総ノイローゼ互いに、話聞いてディスカバー」(行方知らず/Ado)

 

「打倒、パブリックエネミー」のままに今日も行くのみである。

 

*記録の為に書いているので不愉快な表現等ご容赦願います。

 

 

 

 

| 生活 | 14:53 | comments(0) | - |

ブレスの空間。

JUGEMテーマ:日記・一般

 

今朝は渡辺美里の「シャララ」が聴きたくなって歌っていたが、YouTubeの「CD音源篇」はパッとしないし、渡辺美里の真骨頂の「ライブ篇」は、”他での再生禁止”になっていて使えなかった。

 

私はクィーンのフレディ・マーキュリーにブレスと歌を習い、ケイト・ブッシュに表現と歌を習い、渡辺美里に気骨で歌う歌、感動させる歌を習った。

 

ほんの一音の方角、方向、ゆらぎ、チューン(音の芯)がずれても成立しない「気骨」と「感動」というものは、もはやパーフェクションだ。

 

ブレスの中の空間に音を置くこと、その中で音を大事に包むこと、その中で音を移動させること(上下左右などに)、その中に感動や優しさやパッションを加えること(表現)を学んだ。

 

これは「天国のような音」だ。「天界」とも違う、危うさのない恭(うやうや)しくも神々しいものである。

 

それを習った日々に私は自分を癒す歌、の存在を知った。

 

「シャララ」を聴くと、勇気が湧いてくる。一緒に腕をふり上げて雄々しく叫びたくなる。

 

ひとりひとりが愛おしく感じられる。「みんな一生懸命生きているんだろうな」

 

そんな神曲(よく使われすぎててあまり好きではない表現だが)であるところのこの曲をひとりでそっと歌うのが好きだ。

 

ブレスの中に自分がいる。そのブレスを感じながら自分と歌うひと時が一番好きだ。

 

ライブで歌うのも快感かもしれないが、自分を癒す歌の心地よさと恍惚とはまた違うと思うのだ。・・・

 

その声を大事に思って何が悪い。

 

その声を奪うものを本気で憎み憤怒して何が間違っているのか。

 

私の声は私にしかわからない。わからなくていいのだ。だって私しか知らない癒しの声なのだ。

 

それと生きてきた日々に、もちろん最初からできたわけでなく、一生懸命学び、一生懸命身に刷り込んだのだ。

 

その努力実って、自分の元に「ブレス」が自由に表せる日が来た時、本当に嬉しかった。

 

それを、そのまま盗まれてしまい、いつも、自分の声は歌う途中でいつものっとられて終わり、自分を癒すこともできない。

 

ブレスの空間にある自分の声は、悲しみや喜び、つらさや苦しさや頑張ろうという気概やいろんな思いで満ちている。

 

それを「アクとアヤとクセ」に変換してしまい、楽曲に意味すら持たせず、気持ちの悪い勢いだけで、まるで性交のような気だけを発散する輩に

 

「くれてやるほどの自分の価値かよ」

 

当たり前だが「腐ったブタ野郎死んでしまえ」since 1980なのだし、

 

そんなものを許すわけもない。

 

私にすべての意味と表現と癒しを教えてくれたアーティストたちへの感謝ももちろんそれを許すことはない。

 

「音楽は信じるものではない。音楽は”自分自身”(*ここ大事です)であり、この世で一番正しいもの=自分自身を映すものである。信仰の対象ではない。」

 

*記録の為に書いているので不愉快な表現等ご容赦願います。

 

 

 

 

 

| 生活 | 09:05 | comments(0) | - |

きつい攻撃。

JUGEMテーマ:日記・一般

 

台湾まで一週間になったが、相変わらず夜11時半近くに寝て12時半くらいに目が覚めて攻撃は続く。

 

夜中に、やりきれなくて、ついに、ヘアアイロンで髪の毛を巻いてしまったほどだ。(少し楽になったがひどかった)

 

何が悲しくて、夜中に髪の毛巻き巻きだ。・・・

 

ストレートヘアーの限界も来ているが、夜中だけだ。

 

昼間の外はいいが、家の中は相当きつい。

 

しかし、キツイ=訳がある…でもあると思っている。

 

なにか相当の訳があるからこんなにきついんだろう。

 

だが、さすがに海外で数日を過ごすほどの余力があるのか、倒れてもどうすることもできないスケジュールが私を待っているから、とにかく台湾が問題だ。

 

昔、同居人の「道北田舎町A」に毎年お盆にお参りに行っていた頃、毎年の問題は「何を着ていくか」だったが、それくらい、まだ、着るものやらでなんとかなってもいたのだが、

 

ある年、ついに具合が悪くなって、でも行かなきゃいけなくて、無理をして行ったのだが、同居人はサポートどころか、反対に私に説教をしてきて、高速の入り口で「なんで、具合悪いのに来たんだ!!!!」と人をののしり、これから頑張ろうと思っていた私を突き落としてさらに、「妹の前ではちゃんとしろよ」と言い捨てられたことがある。

 

私は具合が悪い中なんとかお寺までは頑張って、妹さん夫婦にあって、納骨堂でお参りをしてきたのだが、帰りに、具合が悪いのに、いつも行く親戚の家にお邪魔するというから、もう、疲れ果てて声もでなかった。

 

結局、お昼も食べられずに帰ってきたが、帰りの車の中が地獄で、ずっと具合が悪いまま、4〜5時間は車に揺られていたのだ。

 

 

その翌年、お寺の住職が亡くなって寺仕舞いをしたので、同居人の両親たちのお骨を引き取りに行くはずだったのだが、また具合が悪くなった私はついに行くのをやめたのだ。

 

しかし、お骨を引き取りに行けなかったがために、うちの両親も眠っている札幌の菩提寺に納骨する時(うちの実家の隣の隣の納骨堂を購入した同居人)なにが何でもいかなくちゃと思ったが、やっぱり具合が悪くて最悪だったが、何とかはせ参じたのだが、

 

ホッとするのもつかの間、娘から電話が来て救急車を呼ぶことになったのだ。

病院に付き添って、点滴に付き合い診察を一緒に受けた。

それから1年間うちにいた娘だ。

 

きつい攻撃はどんどんひどくなっている気がする。

 

私が何事もなく、同居人の言うことをひたすら聞いて「ブタ主婦」でいた頃(まだ10キロ痩せていたが笑)余り攻撃はひどくなかった。

私はたまに一人の時に「ケイトブッシュ」でも歌いながら時を過ごしてもいたくらいだ。

 

その代わり、うんざりするくらい言うことをよく聞いていたと思う。

 

コロナ禍が来て、どこにも行かず、言うことも聞かなくなってきて(娘コロナにうるさくて出かけられなかったし)

 

段々溝ができてきて、さらに娘の1年間の滞在でひりひりするような家庭環境になった。

 

それでいつからだろうか???の今である。

 

しかし、攻撃がきつい=意味が訳があるという構図であるがゆえに、

 

1997年の「XJAPAN」の解散問題から端を発したような、日々は2023年「HEATHさんの死」を迎えてさらに残り火に油を注いだような毎日になった。

 

偶然という名の必然の中で、何を風が伝えようとしているのかわかりかねることも多々ある。

 

足元を見れば、問題だらけで、命の危険だらけで将来の不安だらけでもある。

 

しかし、間違いなく何かが変わったのだ。

 

その変化を受けて何もかもが動き出したのだ。

 

常に「1997年」から、「なんで私なの?なんで娘なの?」という疑問は沸くのだが、

 

それでも、意味が分かるのはきっとあとからなのだろうから、前に進む以外にないと思っている。

 

数々のトラップ。目に見えないみんなの居場所。ストーリーがあるようでなく真実味もあるようでないような盲目の中を

 

27年前と同じように進んでいる気がするが、

 

色んなことがあった年月だった。

 

ただ一つ「攻撃だけは止まらなかった」日々だった。

 

いつの間にか、年を取り、いつの間にか離婚もされ(一方的に言い渡された話し合いなし)、母子家庭の中で倒れられない日々を倒れながら闘ってきて「入院だけはできない、救急車にも乗れない」と覚悟はしていた。(娘を預かってくれる人はいないし娘も誰にも預けられたことがないから無理だった)

 

そうして幾星霜だ。・・・

 

そろそろ、冬空も終わるが、まだ夜には晴れた日にオリオン座が見える。

 

変わらない宇宙の運行の中で、それでも何かに守られながら過ごしていけたらと心から切に願う。

 

未来はないようであるかもしれないし、あるようでないかもしれないが、

 

それでも、今日も攻撃に耐えながら、台湾に行く方法を考えている昨今である。

 

*記録の為に書いているので不愉快な表現等ご容赦願います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 生活 | 13:35 | comments(0) | - |

今日は久しぶりの「D」の施術。

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いつもは娘の付き添いで行くのだが、今日は私も施術してもらうことになった。

 

眠れない日が続いているし(攻撃続く)、お腹の調子が悪いので、思い切って体のメンテナンスチェックをしてもらい、

 

「リメディ=周波数治療に使う水の小瓶」での解除をしてもらうことにした。

 

今日は、お腹が緩いのが続いていたから(これは大問題であるところの私のコンディション)、また「ガスによる圧迫」とか言われるのかなぁ???と思っていたら、

 

「右の腸=盲腸に物凄く引っ張られているね」

 

と、言われてびっくりした。ちょっと前に施術を受けた時には「左の腸」を指摘されていたので、またそうだと思っていた。(実際左痛い気がするし)

 

「でも、今日は間違いなく何度やっても、盲腸に引っ張られているよ」

 

というので、先生の言うことはあながちの嘘であることはないので、何かしらに引っかかるはずで(私の魂&風の住人さんたち含む)

 

気を付けていきたい。

 

さらに、右の腎臓に「結石」ができているかもしれないから、あまり痛かったりしたら病院で検査するようにと言われた。

 

前回は「左側」にトラブルが多かったが、今回は「右側」だった。

 

腰も悪いと言われたが、腰は私も悪いので、どうなんだろうか。(笑)

 

しかし、その流れは今までなかったので、急に起きたというか、今日起きたということは「今日のフォーメーション」であり、

 

さらに言うと、お腹が緩く痛くなった「パーマの日」からである。

 

まさに命懸けだな(笑)

 

歯の食いしばりもひどくなっているのだけれど、いつも指摘されるのに、今日は先生が指摘しなかった。

 

「リメディ」で、だいぶ、右の盲腸に引っ張られる腸の波動の解除してもらいました。

 

背中触ったら、右のウエストあたりが痛かったからびっくりしました。あ、本当に右悪いんだなって。

 

今日は嫌な気や、気が散る感じがなくて集中できたので良かったです。

 

家にも「リメディセット」があって、(昔、リメディ講座に出て買った)

 

使えるんだけど、リメディ講座でやってみてわかったんだけど、私ら初心者がやると全然だめで、本当に先生がやるとあっという間に「ここ」というポイントを見つけ出して、解除をらくらくするんで、見事です。

 

この間、パーマの時、美容師さんに、シャンプー台で「頭が重いね」と言われたのだけれど、

 

私も「リメディ講座」の時、「リメディする前の頭の重み」と「した後の軽さ」を受講者同志でやってみて体感したので、分かるのだ。

 

本当に信じられないくらい重い頭が軽くなるんだよ!びっくりだよ〜

 

それくらい、頭は何かの魂や意識のよごれや霊の影響を受けると重くなるという。

 

頭が重いと首に負担がかかり首がやられる。気をつけねばならない。

 

「リメディ」の解除ポイントは不思議と決まっていなく、体感である。

 

「ああ、ここでアジャストすれば消える」というポイントはこれは体で覚えるしかないと、教えてもらったが私ももちろんそう簡単には憶えられなかった。

 

「アジャスト」ってすごいね。完璧ということだ。

 

チューン(音)と同じように、ポイントがその時その時違うから、アジャストは本当に感という名の予測込みの自分のテクニック=知覚である。

 

それにはすべての空間のラインを制覇すること。

 

”方向方角走り”は、こんなことにも適用されるのだ。

 

まぁ、そんなわけで、今日は実り多い「D」だった。

 

先生は2か月に一回くらいは東京にも施術に行くので、是非興味ある方に縁して欲しい気がしている。

 

*記録の為に書いているので不愉快な表現等ご容赦願います。

 

 

 

 

| 生活 | 20:03 | comments(0) | - |

何着て行こうか。

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毎日眠れない日々が続いて、昨日は腹痛で救急病院を探したほどだったから、今日はゆっくり過ごそうと思っていたのだが、

 

何のかんので、洋服探しをしてしまった。

 

台湾が近づくにつれ、何にも用意していないさまに自分でもヤバさを感じる。

 

コロナ禍で、すっかり旅行やお出かけから遠のいてしまって、らくちんに生きても来たが、

 

ついに来週になってしまって、準備が全然できていないと気づく。

 

こんな状態での旅行だから、本当に厳しいのは火を見るより明らかで、いったいどうしよう?な気分なのだが、

 

遠い記憶を振り返ると、「とにかく準備が勝利を決定づける=勝利とは何事もなく行って帰ってこれること」なわけで、

 

お買い物さえしていれば、何かしら料理が作れる、みたいなもので、何にもないと、料理も作れないという現実があって、

 

準備がしっかりできていればたいていのことは乗り切れるものなのだ。

 

パッキングというより「過不足のない準備」という感じである。

 

前に、台湾に着いて空港のトイレに行ったら、指の爪が割れてしまい、(ジーンズのチャック上げる時)私の爪は恐ろしく、歯と同じで、崩れやすいもろいもので、

 

「あ、爪切り…」と気が付いた。

 

爪切りは現地での買い物したものを使う時タグを切るのにも使えるし、なかなか利便性があり、私には必需品だ。

 

爪切りがないまま爪が割れたままにすると、旅行自体に影響するくらいのことだ。

 

何でも持っていると、安心するので、サブバッグに色々詰めすぎて、それはあんまり用事がない(笑)

 

便座除菌シートとおしりふきも必需品。

 

海外のトイレなんてそんなにきれいじゃないし、日本みたいに便座を拭くやつも完備してないので、

 

やっぱりそれないと大変よ。

 

おしりふきも、何かの時にウォッシュレットがないから、自分で綺麗にしましょう、な話だ。

 

色々、詰めて、ショルダーバッグもパンパンである。(笑)

 

でも、過不足に陥ることなく毎回旅を終えるのは有り難い。「これ持って来れば良かった〜」ということがないから、安心だ。

 

まぁ、これから、徐々に感覚を取り戻して、買い物をして揃えて行こうと思う。

 

auの「世界データ通信」のアプリの使い方も思い出さなくては。

 

Wi-Fiなんてめんどくさいので、いつもこれを使っている。

 

料金高めだけど、自分で現地でスタートをタップするだけで一日使えて、次の日また新しくセットする、の一日ずつだから、楽ちんだ。

 

荷物になるから「イモトのWi-Fi」とか借りることはない。(笑)

 

あ〜あ、今日はワンピースを買ったが、可愛かったけど、やっぱり旅行には合わないのと(ポケットとか必要だしやっぱり、ポケッタブルパーカが便利)

 

首元が詰まると苦手の私は旅行には無理と判断した。でも可愛いし夏用のデブ用(笑)ワンピがないので、返品するかどうか迷いどころ。

 

最近、深緑や緑が好きというか似合う気がする。

 

でも、まぁ、旅行はポケッタブルパーカとヨネックスのスニーカーでいい気がする。

 

傘も持たないとな。九分の雨確率は80%くらいだかって昔聞いたな。

 

それにしても、この体調で、この状態で飛べるだろうかと心配過ぎる。(汗)

 

ちょっと離れたところへ行くのでさえ命がけの毎日だというのに、どうよ、旅立っちゃうって。それも国際線って。

 

まぁ、「心の煩悩を滅して(爾前経)」行くしかもない。(笑)

 

頑張れ、私、頑張れ今世紀最大のデブい自分。

 

パーマはほぼウエーブがなかったので、今朝もヘアアイロンを少し使いました。

 

旅行はほぼストレートかな。(笑)

 

パラドゥのアイシャドウに迷い、今日はアナ・スイ中。

 

色んな変化の中で選択を間違えないようにしたいところです。

 

*記録の為書いているので不愉快な表現等ご容赦願います。

| 生活 | 13:58 | comments(0) | - |

ひどい腹痛と波長変え。

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ようやく、髪の毛を「ウエーブ」にする日が来たのだが、いかんせん、うまくは行かなかった。

 

強敵「同居人」のストレート一択の”変えないでくれ”説話がうるさくて(苦笑)

 

思い切った「きついウエーブヘアー」の実現が難しいと思い始めた。

 

今朝も「赤い髪にだけはしてくれるな」と説教されてうるさくて、いやになったので、

 

美容院で「きつくしないパーマ」をお願いしたら、ただの、ストレートなんだけど、ちょいウエーブ、のパーマヘアになってしまった。

 

ヤフーニュース(さっき)の「工藤静香」と同じような髪の毛だ。(笑)

 

ポイントは前髪にパーマをあててしまい、どう考えても「前髪切りすぎ事件」からやっと伸びた前髪がまたぱっつんに上がってしまった。(笑)

 

もはや、この時の為にあの日々があったのかと思うほどだ。(笑)・・・

 

美容院でさり気に入れるカラーを勧められたが、結局しなかった。(ショッキングピンクのインナーカラーとか入れるか裾に色を足したらと言われた)

 

強敵同居人がいる限り無理だな。(笑)

 

美容師さんが、「施術例」の写メをスマホで見せてくれたが、いかんせん、娘の薦める通り、「赤茶系だと目立たないかもよ?」の色味で素敵だったけど、「バレる」とは思うのだ。(^^;

 

で、仕方がないから、気分によってウエーブアイロンを使うことにした。

 

前髪が結構ポイントかもしれない。最初はどうしようかと思ったが、今となればなかなかいい「突破スタイル」な気がする。

 

実はさっきまで、ひどい腹痛に苦しんでいて、救急病院を検討していたほどだった。美容院から戻る時にはもう痛かった。

 

いつぞやの救急車で運ばれて(失神していたが意識があるという怖さ=耳と脳みそが稼働するゆえ)浣腸のひどき目にあった腹痛時も、

 

札幌「オータムフェスト」という大通公園でやるイベント(色んな飲食ブースがある)から帰って来たばかりで、

 

突然陣痛のような腹痛に襲われた後トイレから出て倒れたのだ。

 

今回の痛みも美容院を出てから始まっており、陣痛のようで実はすごい「プッシュ圧」でまさしくヴァーチャルセックスのようなものだった。

 

かつて、「内臓にぺ〇スを合わせる」という恐ろしい攻撃が起こったことがあり、「腸管」だとか、ひどい時には「心臓」や「肺」だった。人が死ぬほどの体感だったのだ。

 

プッシュ圧は下から来るので、上に上に空気が溜まり、腸が暴走して、苦しかった。

 

かつて、いつもの治療院で「下からのガス圧で呼吸がやられて咳が止まらないんだよ」と教えてもらったことがある。その時は長く咳が止まらなかったのだ。解除してもらい(リメディで)治った。

 

今回も痛かったが、昼から気持ちが悪かった。

 

お通じは緩かったし(ありえない)、気持ちが悪くてお昼を食べたくなかったが、お腹は空いているという不思議だったから何とかいつもの秘策を食べた。

 

夜も痛みで苦しみつつ、晩御飯の用意をしたが、自分は食べるどころではなく「感電したような狂気」だったが、

 

お腹が空いていたので、「救急病院を調べながら」も食べることにした。お茶碗三分の一のご飯を食べるのがすごく辛かったが、

 

震えながら食べた。

 

「食べること=波長変え」である。

 

食べ物の「気」が自分の身体に入る。「停滞を解除する」すごい挑みだ。

 

自分の気も”食べて薬を飲むこと”で動き出す。

 

髪の毛は信じられないくらいパッとしないが、それを、鑑みながら、自分の「気」を調整する。「波長変え」なんだと。

 

10キロの体重増加はもはやクレイジーだが、ここまでくると「醜さと耽美的な美との」絶妙なフラッシュバックが来る。

 

私の身体は中世画に描かれる女性が身に着けているシフォンのような布をまとうと、大変バランスがいいはずだ。

 

しかし、現代のまだ太る前に来ていたキツキツでパツンパツンの服はどれも、醜さしか醸し出さないバランスで完璧なくらいだ。

 

化粧もそろそろ、何かを変えるべきところに来ている気がする。

 

新しいメイク用品が揃えられるまでのインターバルに何を使うか考えているところだ。

 

髪の毛も、シフォンをまとえば、ウエーブヘアーに似合いそうだが(笑)今の等身大の姿にはこれでそこそこいけるのだろうと推測する。

 

常に”客観が主観を上回る影響力を持つ今”は、善なる波動の「客観」に身を任せるべきだと思う。

 

強敵同居人もなかなかのいいトラップかもしれない。(笑)

 

お腹の痛みは時間と共にだいぶ治まってきた。

 

「食べること」は生きることで闘うことでもある。

 

”ジャンクフードでも食って頑張ろうぜ!”

 

レーズンチョコを食べてレーズンを補給した。完璧だな。(笑)

 

さぁ、知恵を出して頑張ろう、この体とのしばらくの付き合いとこの髪の毛とのとりあえずの付き合い。^^

 

*記録の為に書いているので不愉快な表現等ご容赦願います。

 

 

 

 

 

 

| 生活 | 20:50 | comments(0) | - |

悲しいね。

JUGEMテーマ:日記・一般

 

歌を歌いたい。

 

しかし、もう私の歌声はどこにもいない。

 

心の中にはある。

 

表現したい思い、伝えたい何か、凛とした気。

 

今日、久しぶりに(相当久しぶり)U子とやっていたバンド「BERA」の最後の練習テープを聴いた。

 

時は1981年だ。

 

自分の声は入っていない。

 

いわゆる「カラオケづくり」の曲作り練習テープである。

 

みんな、ドラムの「Noちゃん」以外は譜面を読み書きできないので、セッションで作るしかないという曲作り方法だ。

 

最初、へたくそというか「合わせていく」途上でバラバラの音なのだが、最後のほうで(その日の練習の)録ったものはすごく迫力のあるソリッドな音に仕上がっており、

 

これが、何回かの練習を経て、出来上がり詩とメロディーと私の歌がついたらどんなにかカッコ良くなるだろうか…と思わせる、毎回の視聴時がある。

 

「勿体ない」

 

気がするが、U子はのちに東京で「アレルギー」というバンドをやって、そのオリジナル曲のベースがこの最後の練習のベースラインそのままに使われているのがあって、「やられた、チクショウ(笑)」と思ったいつかがある。

 

でも、曲は悪いけどうちのバンドのほうがあっていたと思うんだ。転用は良くないやね。(笑)

 

歌を歌えなくなってどのくらい経つだろうか。

 

元々「低音域とシャウト」以外、道が残されてなかった私の歌だったが、

 

それを、持って行かれて盗まれてしまった1982年。

 

長い人生の最悪の時期を過ごし、ズタボロのまま、何十年も過ごした。

 

歌は歌えなくて、「蚊の鳴くような小さな声(〇若参照)」しか出せなくなっていた。

 

鎖でつながれたような生活をしていた。

 

歌を歌う自由はもう私にはなくて、かつて「伝説のヴォーカリスト」と言われた歌はもうどんなことをしても歌えなかったどころか

 

「蚊の鳴くような小さな声」でど音痴の声しか出せなくなっていたのだ。

 

娘が大きくなり、カラオケに誘われるようになっても「赤いスイートピー」でひっくり返る声、と娘に笑われた。

 

しかし、「hideさんの歌」だけは歌おうとする気持ちがあった。

 

手ごたえのなさに、「音痴の私ら親子」と思うしかもなく、自己認識もやられるしかもなかったのだ。

 

そんな毎日の中で、ここのうちんちの市にやってきて、いつしか、また「ケイトブッシュ」を歌おうとする自分がいて、

 

そこそこ歌えた時にびっくりしたというのがある。

 

まだ、自分の体感がしっかりしていなくて、「どれが自分の歌でどれが自分の声か」はまだわからなかったが、

 

それでも、歌ううちに目覚めてきた体感があったりした。

 

CDを全部捨ててここにやってきたから、自分の歌の視聴はほぼYouTubeでだった。

 

自分はCDを捨てた時に、残した何枚かがあって、「X/Blue Blood」と「麗美/R」と「クラシックCD1枚」は残したのだ。

 

そのあと、「DHALIA」とか「Art of life」を買った。これはもうだいぶあとである。売ってなくて何件もCD屋を探した。(笑)

 

それくらい、自分の人生を捨てた時、CD類もすべて捨ててしまった。音楽とのある程度の決別である。

 

自分の歌が自分を癒すためだけに歌っていたとはいえ、昔のことを書くうちに、自分のバンド、自分の声がとても懐かしくなった。

 

「どこに行ってしまったのか」

 

それがわかった時の慟哭。

 

人生を潰されたことへの憤怒。

 

今でもそれは続いていて、途中からぶったくられてしまうから、どうすることもできないが、ブレスを止めて、気骨でしばらく歌うが、本物のブレスで、持って行かれてそこで止まってしまうという難儀さだ。

 

音源はもう残っていなく、私の歌を記録するものは何もない。

 

友達の記憶の中に残っているだけだ。・・・

 

自分を癒す歌というのは、本当に自分を癒すものであり、天使の声を聴いているよりも近しい、自分という美が発する音声の中のブレスの中の空間が好きだ。

 

それが、盗まれる理由は多分くだらないのだろう。

 

下らないがゆえに憤怒はとどまるところを知らないのだ。

 

それでも、今日、久しぶりに「Noちゃんのドラム」と「U子のベース」と「KO君のギター」を聴いて、「私の笑い声がそこにあって」

 

あの頃を思い出し、歌を思い出し、音楽の恩恵を思い出した。

 

今もクールな「Noちゃん」のドラムが大好きだ。女の子であんなクールな音を出す人はいないだろう。

 

わがまま「U子」を思い出し、懐かしくなり、「KO君」のムードメイカー的な明るさと素直さが、場を楽しくしてくれたなと思い出す。

 

音楽って「楽しむ」ことだ。

 

それは万人に与えられたのは「自分であるがゆえ」だ。

 

下手でも何でも、自分がそれを表現することで、自分という色を出すことができる可能性を音楽は持っている。

 

それができない日々は「悲しいね。」という言葉でくくるしかもないが、それで済むのかと、毎日思う。・・・

 

いつか、自分を癒す歌がまた歌えます様に。

 

闘いの日々というものを持つべきなのか、屈して哀れな毎日を底辺で過ごすのか。

 

U子がいつか言ってくれたなぁ。

 

「東京に出てきて音楽をやってよ。貴女なら、ケイトブッシュみたいに一人でも歌えるから。」

 

そんな声すら、懐かしいや。・・・

 

これからの人生をどう過ごすか、”考える曲がり角”はいつもそこにある。

 

 

*記録の為に書いているので不愉快な表現等ご容赦願います。

 

 

 

 

 

 

| 生活 | 13:15 | comments(0) | - |

眠れなくなって何十日経つだろうか。

JUGEMテーマ:日記・一般

 

夕べも、夜11時半近くに寝て、12時半過ぎには目が覚めて、そこからの長い攻撃だった。

 

朝6時半まで続いて、疲弊はいつもの常だが、怒りは半端なく湧く。

 

毎晩毎晩、夜中の12時台に目が覚める。1時間少々しか寝ていない。

 

しつこく長い一晩中の粘着質の攻撃は毎回発狂しそうだ。

 

それでも、朝起きて、普通に一日を始めないといけない。

 

先日はついに居眠り運転をした。

 

朝寝も昼寝もできず、もはや、意識が落ちるくらいの睡魔が来る。

 

ブレーキから足が落ちていた。

 

意識も遠のく。

 

毎日が命がけなのに、毎朝、鏡の中のボロボロの自分に比べ、あいつらの何事もない顔よ。

 

こんな状態で台湾に行かなければいけないだけで、ものすごいストレスがやって来る。

 

それなのに、”ブタのライブは守らなきゃ”、とか訳の分からない理屈がやって来ると、正義の憤怒以外起こりようがない。

 

生きて行って帰ってこれるのかよ。行けたとしても、このおぞましい体感と体調と睡魔と眠れない夜に慟哭したままのツアーかよ。

 

どこで、攻撃されるかもわからないのに。

 

「愛と正義」は分離した。

 

自分を守るものは「正義」しかない。

 

誰も、守るものはいないのは、1998年からのお約束のようなものだ。

 

「愛」なんて、人を裏切るものでしかない妄想に思えてくる。

 

都合よく形と方角を変えるものが「愛」ならば、そんなものは。

 

自分の憤怒を支える人達は変わらない「風の住人」たちだ。

 

「常に善」である「不動」の人達がこの世に居るというだけで少し救われる思いがする。

 

「経典」は破壊された。

 

もう、2度とそれに立ち返ることはないだろう。

 

モニターのいない音楽を垂れ流すがいい。

 

私は一人で歩いていく。

 

自分を誇ることのできない者たちは、人生をどうくくるのだろうか。

 

「醜」と書くと、「Ado」の歌みたいだな。(笑)

 

それがそいつらの称号だ、これからの。

 

「不動」の自分は、極善でいられる自分の確たる理論と会得した文底秘沈の意味に感謝する。

 

これからも、胸をはって行きていく。

 

犯罪を一つもしない(当たり前だってな)自分というもの。

 

そんなものの対局に薄汚れた嘘つきどもがいるのなら、なんと滑稽で反吐が出る話だろう。

 

「嘘つき」

 

そんな声が聞こえるな。(笑)

 

お腹が痛い。しぶり腹とエアガスジョグは、夜中の攻撃に必ずついてくる。

 

「嘘つき」

 

お前たちの顔に塗りたくって、反吐を吐きかけてやりたいが、

 

顔を見るのもごめんだよ。

 

「嘘つき」

 

”私がなにしたっていうのさぁ〜?”

 

そんな言葉を一緒にご発声だ。

 

*記録の為に書いてるので不愉快な表現等ご容赦願います。

 

 

 

 

 

 

 

| 生活 | 16:52 | comments(0) | - |

帰命。

JUGEMテーマ:日記・一般

 

「南妙法蓮華経」について、

 

「妙法蓮華経」とは「法華経」のことで、

 

それに「南無」する=「帰命」するという意だと以前書いた。

 

しかして、この「帰命」が実は、この「お題目」=七字の”根幹”(*ここ大事です)だと創価学会でも教えられているのだが(笑みんな知ってるが意味を体得したものは多分少ない)

 

それくらい、「帰命」というものがどれくらい大切か、という話である。

 

”帰命=求道の求愛の「着地」”である。

 

「求めぬいたものに辿り着く」、という意である。

 

”辿り着く=着地点が必ずそこに還る”

 

ということであります。

 

どんな境涯に堕ちても必ず、その着地点に戻る、という不動であります。

 

例えば、「六道輪廻」という例で話せば(意味が分からない方は”生命と境涯(1)〜(3)”を読み返してください)

 

”すごい美人でスタイルも良く、性感も良く、性格もよく、気立ても良く、ファッションセスも素敵な”女性と知り合って恋仲になったとします。

 

その時は天にも昇る気持ち(天界)であり、まさしく、自分のものになったという高揚感でしばらくはラブラブが続くのだが、

 

いかんせん、「境涯の低下(天界のあとは下ります)」とともに、

 

例えば”仕事がうまくいかなくて叱られてダッサイ自分を知らされてしまった自己嫌悪と怒りに渦巻く時”なぜか、「気立てのいい美人」では荷が重く、自分のフラストレーションを晴らすには、

 

「ブスで、見た目も性格も悪いのに自分以上に会社や組織の悪口を口汚くののしってくれて、自分の野卑な気持ちを湧かせてそいつらを見下す気持ちや復讐のテーゼでの快感に浸れる」

 

相手とねんごろになりたくなるのですよ。

 

それが、バレるのが怖くて、「美人の彼女」を攻撃することすらあるという戯(ぎ=自分を偽り遊ぶ)だ。

 

むしろ、「美人の彼女」をおとしめ、”自分より上にいることが許せなく”、その彼女を地の底に叩き付けたくもなるのですよ、ブスとともに。

 

すべては、「求道の求愛」ではなかったことに端を発していて、

 

「天界」の恋愛の危うさを顕わしてもいるのだと知るべきである。

 

ギターを必死に練習していた頃、それも「求道の求愛」だったことに気づくであろう。

 

「覚えたい、知りたい、弾けるようになりたい、なんとしても、辿り着きたい」

 

必死でもがいて必死で練習して必死でくらいついた日々に、そのギターは手の届かない女神だったろうが、

 

「それに見合う男に」なるためにもがいたのだ。

 

手に入った時は、もう、不思議な感覚だったろう。

 

「女神=自分」

 

という一体感だ。

 

これが「求道の求愛、二人はひとつ」のテーゼである。

 

コンプレックスもない、すべて自分にイコールするという快感と無垢な快楽。

 

そこにあるのは「辿り着いた果ての着地点」であり、

 

その快感と無垢な快楽を知るがゆえに「不動」の自己が道を外させないのだ。・・・

 

「帰命」するべきものを手に入れた者は幸せであるが、

 

「帰命」たらしめる「不動」を確立するのは並大抵ではない「求道の求愛」への努力が必要で、

 

”その道を歩んできたもの”は是非自信を持って進んで欲しい。

 

どこに命を帰すのか、により人はすべての選択を決定づけてしまう。

 

「二人はひとつ」になったとしても、では「一つになったとて二人は」どこに帰命するのか。

 

方向性を同じに持たなくては分離が生まれるのだ。

 

「激しい恋をしてひとつになったとて」

 

分離がやって来るのは「帰命」というものの合致がなかったからである。

 

どこに帰るのか。

 

「着地点」である。

 

「不動」である。

 

=境涯である。

 

彼女の境涯を引き上げれなかったのか、自分も低い境涯だったのか。

 

ひとつに燃えたとて、それは、心もとない道だったのだ。

 

「求道の求愛」は必ず、「求道」がある限り、分離はないのだ。

 

だから、私は何度も言う。

 

「求道の求愛」こそが極意である。

 

「自分が教えを乞う」というすごい求道である。

 

相手に自分の持っていないものを補ってもらうのみではなく「激しい求道」をするのだ。

 

それは「愛」である。

 

子が母を求めるように、「求める」のだ。

 

母が子を愛すように、「与える」のだ。

 

これが、双方向性になることが大事である。

 

求め与えあう関係こそが「求道の求愛」なのだ。

 

求めた分だけ、ギターは与えてくれた。

 

自分のたくさんの努力と無知の闇の中で、いつも女神は微笑んでくれていて、

 

「今日弾けるようになったフレーズ」を与えてくれた。

 

そして、ついに、「女神」を”昇天させる日”が来るのだ。

 

昇天しているのは女神であり自分でもあった。

 

やって、やり返して、また、やられて、やり返して。・・・

 

そんな時、人間の「SMプレイ」という性欲の一つ形態の根底の意味を見る想いがする。

 

「応戦」することの心地よさ。「ダウンさせて、ダウンさせられる」の繰り返しの快楽。

 

そして、一つの「チューン(音)」を見つけて触れた時の「性感帯」のような響き。

 

どうか、今日は少しの時間でも立ち止まって「帰命」について考えて欲しい。

 

宗教の根幹は「帰命」であるが、ゆえに、その「帰命=洗脳」の最たるものでもあるのだ。

 

この「不動」を、覆すのは難しく、非常に硬い岩だが、「ロックンロール」していきましょう。

 

ロックを崩すにはロールしかないよ。(動執生疑=問答で相手を怒らせて執着を揺り動かし、相手の価値観に疑惑を生じさせること)

 

執着を揺り動かすには「低い境涯」を顕わさせるしかもないのだ。

 

「不動」の高い境涯の反対側に、「動」の低い境涯があるわけで。

 

だから、「六道輪廻」も境涯の移動を繰り返すのである。

 

また、これを胸に頑張ってまいりましょう。

 

*記録の為に書いているので不愉快な表現等ご容赦願います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 生活 | 09:49 | comments(0) | - |

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